塗りたいから塗ったのか 2018.06.08
DIARY

 

先日、岐阜で行われた

日本工芸産地協会の産地カンファレンスのお話を聞いてきました。

こういったカンファレンスに参加すること自体が久々で

大変楽しく、勉強させてもらいました。

 

 

僕の一番気に入った議論は

「漆はなんで塗られたのか」というお話。

漆の機能面、木の器が割れないように強化したという説。

機能面に焦点をあててコンセプトを明確化することで

物語が匂い出て、物を伝えるという話。

 

 

はたまた、

漆の接着させる性質を利用して

赤色を塗りたいと思ったから、接着剤として利用した説。

人間が根源的に湧き出す制作意欲であったり

愛おしく思う美であったり。

意匠として塗りたいから塗ったという話。

 

 

これは本当に面白い。

これはどちらがどうという話では無いし

僕は両方ないといけないような気がしています。

どちらかだけで成立してしまったら、つまんない世の中だと思う。

 

 

というのも

最近、わかりが良いものが多いような気がしていて

訳のわからないものが少なすぎる気もしていて

訳のわからないものは訳のわからないままに置いておきたいというか

訳のわからないこと、訳のわからないまま自体を評価したいというか

 

 

なんだかお膳立てされて作られすぎたものは

見透かされて食べたくなくなってしまうのではないかとも思うんです。

 

 

ここからはデザイナーとして。

作り手は物が売れないと食べていけないという事を前提とした中で

僕らデザイナーは作り手が作った物の良さを

どうしたら消費者に伝わるのかを

作り手が見ている視線とは別の角度や視線から見て検討する。

そして別の角度や視線から見えた解をどうアウトプットするのか。

アウトプットしたものはどこの誰に、どうやって伝えるのかを考える。

 

そうなった時に軸の通ったコンセプトは強い味方で

コンセプトづくりのときはリサーチは欠かせないし詩とにらめっこする。

クライアントと自分、クライアントと消費者の共通の言語として明確化し、

どんな骨を凝固にしてどこに血を巡らせるのか想像する。

 

僕は二つの話を考えて

コンセプトを作る時に明確化されていないものを無理やり明確化せずに

そのままでも軸が通っているならそのままでいいという選択を持ちたいと考えるようになった。

なんならコンセプトすら不必要という選択。

そして、技法やら何やらで濃く味付けされたものもいいけれど、

塩を数グラムという匙で引き出せるど直球で針の穴を通すようなアウトプットの選択肢を信じていたい。

 

 

というお話でした。

訳のわからないまま訳のわからない話を綴った今日は僕のバースデー。

35歳になりました。